9日目 殷墟博物館観光後安陽へ
大きな団体と重ならないよう7時半から朝食をとって8時30分にホテルを出発、京珠高速に入り麦畑の中を1時間ほど走ると河南省に入った。今日から現地ガイドは河南省の女性ガイド艾さんに交代する。

麦畑
さらに30分ほど走ると殷墟博物館に到着した。殷墟博物館は殷の遺跡の上に造られた野外博物館で2006年7月13日に世界遺産に登録されたばかりである。入口の扉の両側にはここから出土した玉の装身具がデザインされている。

殷墟博物館入場口 玉の装身具
展示館に入ると最初に下水用の土管が展示されていた。3500年も前から下水があったことに驚かされる。そばに土器の壺も展示されていた。

土管 壺

壺 壺
当時の宮殿の模型が展示されていた。かなり大きな建物である。

宮殿の模型(拡大)
羊や豚の骨が展示されていた。当時から家畜を飼っていたのである。

家畜の骨と包丁
青銅の器が並んでいた。

青銅器
宝貝に穴が開いているのはネックレスにしていたのだろうか。

宝貝
矢じりの刺さった頭蓋骨があった。死んだ兵士の痛みが伝わってくるようだ。首を煮る鍋があり中に頭蓋骨が入っていた。敵の首を煮て食べたのだ。

鏃の刺さった頭蓋骨 首を煮る鍋
婦好墓出土の骨製の装飾品が並んでいた。婦好は中国初の女性将軍で殷王武帝の妻の1人である。

骨の装飾品(拡大) 骨の簪
青銅の鍬が並んでいた。農作業にも青銅器を使っていたのだ。石の斧や刀も使われていた。

青銅の鍬 石の斧と刀
青銅の鋸があった。こんな古い時代に鋸があったことにびっくりした。石に模様をつける青銅の工具もあった。
青銅器の鋳型も展示されていた。

鋳型(拡大)
鼎がたくさん並んでいた。
司母辛鼎と司母茂鼎という2つの大きな鼎が展示されていた。司母茂鼎鼎は1938年に発掘され重さが875kgあって中国最大の青銅器である。
銅頗という3本の足の着いた鍋もあった。
爵という器も展示されていた。
青銅の壷がたくさん展示されていた。
尊という花瓶のような器もあった。花を入れていたのだろうか。

(拡大)
湯沸しと柄杓も並んでいた。今の茶道の道具みたいだ。
玉の装身具も使われていた。

玉の装身具
婦好墓出土の玉の輪があり龍の模様が刻まれていた。

龍型玉偑
亀の甲羅を火であぶって占いをしていた。占い師は王に次ぐ高い地位であった。

占卜亀甲
展示室を見た後碑林を訪れる。碑には表と裏に亀甲に刻まれていた甲骨文字と漢字が刻まれている。

碑
碑林を眺めていると襷を掛けた若い女性が大勢歩いてきた。自動車のキャンペーンガールとのことであったがペタンコの靴を履いているのに見上げるように高い。1人の女性に写真を撮らせてもらったが顔つきは日本人のモデルと見分けがつかない。

キャンペーンガール(拡大)
続いて車馬坑展庁を訪れる。ここにはこの地から出土した馬車と馬の骨が多数展示されている。馬車は木製だが降雨量が少ないので腐食せずに残っていた。

馬車

馬車 復元された馬車
このあと乙七墓址を訪れる。ここは馬車のレプリカを作って発掘現場を復元したもので実際の馬車は地下深くから発掘された。近くにある甲骨窖文からは17000以上の甲骨がかたまって出土した。

復元された発掘現場 甲骨窖文
甲骨文字回廊があった。甲骨文字が1000字書かれていたが、人の形をした字が多かった。

亀甲文字
最後に婦好墓を訪れる。地下7mにありここから青銅器、玉器、宝石、骨器、冬季など全部で1900の副葬品が出土した。貝も6880枚出てきた。これは王の寵愛の印とされている。

婦好墓(拡大)
12時20分に殷墟博物館を出発、15分ほど走って尚味庄というレストランで昼食をとる。

尚味庄
蕎麦風の春雨があったが柔らかくて味は見かけほどではなかった。ナマズの煮物が出たがこれはおいしかった。



料理
食後10分ほど走って天寧寺塔を訪れる。天寧寺塔は文筆塔とも呼ばれる5層8角形の塔で上の層ほど傘が大きいという特徴がある。頂上にはチベット様式の仏塔が載っていて仏塔を合わせた高さは38.5mである。創建は五代後期の952年と金・元代の2説がある。この塔もかなり傾いている。

天寧寺山門 天寧寺塔(拡大)
1層の各壁面には仏像の彫刻が施されている。

三世像(拡大) 護法像(拡大)

太子誕生図(拡大) 雪山修行図(拡大)

南海観音(拡大) 天人説法像(拡大)

涅槃図(拡大) 侍仏聞法(拡大)
入口のない3つの方向には飾り扉が付けられている。

飾り扉(拡大)
14時15分天寧寺塔を出発10分ほどで安陽賓館に到着した。このホテルも4星である。

安陽賓館 客室
部屋に落ち着いたあとで旅行記作りで過ごし18時半からバスに乗って夕食に出かける。今日のレストランは市内から20分も走った所にある茷盛度仮村だ。